かつて、男の価値は非常に分かりやすい物差しで測られていたように思う。私が子供の頃に見たテレビドラマの父親像は、決まって会社のために身を粉にして働き、家族を養う大黒柱だった。夜遅く、酒の匂いをまとって帰宅し、寡黙に晩酌をする背中。そこには、社会という戦場で戦い、家族を守るという明確な役割と誇りが滲んでいた。モーレツ社員という言葉が肯定的に響き、企業戦士であることが男の勲章とされた時代。競争に勝ち、出世の階段を駆け上がることが、そのまま人生の成功と直結していた。飲み会は仕事の延長であり、上司の武勇伝を聞くことも、組織への忠誠を示す作法の一つだった。そこには疑う余地のない「常識」と、共有された「価値観」が存在していた。

しかし、現代はどうだろう。終身雇用は神話となり、会社への絶対的な忠誠を求める風潮は薄れた。男性が育児休暇を取得することは珍しくなくなり、「イクメン」という言葉もすっかり定着した。夜遅くまでの付き合い酒は敬遠され、プライベートな時間を大切にするワークライフバランスが重視される。上司の武勇伝は、ともすれば「昔の自慢話」と揶揄され、若手社員の冷めた視線に晒されることさえある。

男だから、という理由だけで課せられた重圧は確かに軽減された。生き方の選択肢は増え、個人の幸福を追求することが許されるようになった。これは疑いようもなく、社会の成熟がもたらした恩恵だろう。だが、その一方で、私たちは何かを見失ってはいないだろうか。かつて社会が用意してくれた「男らしさ」の明確な物差しが消え去った今、私たちは何を頼りに自分の価値を測ればいいのか。競争を勝ち抜くことが唯一の正解ではなくなった世界で、「勝つ」という行為そのものの意味は、一体どのように変わってしまったのだろうか。この静かな変化の底流には、私たちの生き方そのものを揺るがす、より大きな問いが横たわっているように感じられてならない。

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先日、旧知の仲である経営者の友人から、半ば愚痴のような、しかし切実な響きを帯びた相談を受けた。「最近の新入社員を見ていると、どうにも理解できないことがあるんだ」と彼は切り出した。「彼らは驚くほど優秀で、そつなく仕事をこなす。だが、決定的に欠けているものがある。それは『悔しさ』だ。何かで負けても、失敗しても、『あ、そうすか』と淡々としている。勝負を仕掛けても、負けるくらいなら最初からやらない、という空気が蔓延しているんだ。勝利への執着が、まるでない。このままで、彼らは本当にタフなビジネスの世界で生き残っていけるのだろうか」。

彼の言葉に、私は深く共感するものを感じた。確かに、現代社会は「頑張りすぎないこと」を推奨する空気に満ちている。「コスパ」「タイパ」を重視し、無駄な努力を嫌う。SNSを開けば、「チルする」「ありのままでいい」といった言葉が溢れ、過度な競争や勝利への渇望は、どこか時代遅れで、格好の悪いものとして扱われがちだ。誰もが傷つきたくないし、無駄なエネルギーは使いたくない。その気持ちは痛いほど分かる。

しかし、競争を避け、勝負の土俵から降り続けることで、私たちは本当に幸福になれるのだろうか。悔しさの裏側にある達成感、敗北の苦しみを乗り越えた先にある成長、そして、自らの手で「勝利」を掴み取った瞬間の、あの脳が痺れるような高揚感。そうした生の感情から遠ざかることは、人生の彩りを自ら手放していることにはならないだろうか。友人の嘆きは、単なる世代間のギャップではなく、現代を生きる私たちが直面している、より本質的な問題を指し示しているように思えた。それは、生きる上で不可欠な「熱量」を、私たちはどこで、どのように燃やせばいいのか、という問いだった。

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こうした肌感覚は、単なる個人的な印象論に留まらない。社会の変化を示す客観的なデータも、この傾向を裏付けている。例えば、内閣府が毎年行っている「国民生活に関する世論調査」に目を向けると、興味深い事実が浮かび上がる。令和5年度の調査では、今後の生活の見通しについて「悪くなっていく」と回答した人の割合が45.2%にのぼり、「良くなっていく」の11.1%を大きく上回った。特に若年層においても、将来への悲観的な見方が広がっている現状が示唆されている(2024年1月 内閣府『令和5年度 国民生活に関する世論調査』:https://survey.gov-online.go.jp/r05/r05-life/gairyaku.pdf)。競争を避ける安定志向が、必ずしも将来への明るい展望に繋がっているわけではないことが窺える。

一方で、生物学的、心理学的な観点からは、人間、特に男性には競争と勝利を求める本能が備わっていることが示されている。神経科学者のイアン・ロバートソンが提唱した「ウィナー効果(The Winner Effect)」という概念がある。これは、一度勝利を経験すると、脳内のテストステロン値が上昇し、それがさらなる自信と意欲を生み出し、次の勝利を呼び込みやすくなる、という正のスパイラルを指すものだ。Psychology Todayの記事によれば、“勝利は脳の報酬系を刺激し、ドーパミンの放出を促す。これが被験者をより賢く、より大胆にし、次の挑戦への意欲を高める”と指摘されている(2011年7月 Psychology Today『The Winner Effect: How Power Affects Your Brain』:https://www.psychologytoday.com/us/blog/the-compass-pleasure/201107/the-winner-effect-how-power-affects-your-brain)。

つまり、私たちは「勝たなくてもいい」という社会的な風潮と、「勝ちたい」という生物学的な本能との間で、一種の引き裂かれた状態にあるのかもしれない。競争から降りることで得られる一時的な安らぎと、勝利を重ねることで得られる持続的な自信と高揚感。どちらが長期的な幸福に繋がるのか。データは、安易な答えを許してはくれない。だが、少なくとも「勝ち」を求める衝動を、単なる時代遅れの価値観として切り捨ててしまうのは、あまりにも早計であると言えるだろう。

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さて、あなた自身は「勝負」というものに、普段どう向き合っているだろうか。おそらく、その姿勢は人によって大きく異なるはずだ。ここでは、勝ちに対する向き合い方をいくつかのタイプに分類してみたい。自分はどのタイプに近いか、少し立ち止まって考えてみてほしい。

1. 【完璧主義のチャレンジャー】
このタイプは、常に一番を目指す生粋の勝負師だ。目標は高く、努力を惜しまない。その姿勢は周囲を鼓舞し、大きな成果を生み出す原動力となる。しかし、その強すぎる勝利への執着は、時として諸刃の剣となる。「勝つことが当たり前」という価値観を持っているため、一度の敗北が許せず、心に深い傷を負ってしまうことがあるのだ。2位や3位では満足できず、自分を責め、燃え尽きてしまう危険性を常に孕んでいる。また、他者にも自分と同じレベルを求めてしまい、人間関係に軋轢を生むこともあるだろう。勝つことの快感を知っているがゆえに、負けることの恐怖も人一倍大きいのが、このタイプの特徴だ。

2. 【傷つきたくない安全航海士】
このタイプは、負けることによる心のダメージを極端に恐れる。そのため、最初から勝敗が明確につくような土俵には上がろうとしない。「挑戦しなければ、負けることもない」という論理で、自らの安全地帯を守り抜くことを最優先する。彼らは現状維持の達人であり、波風の立たない平穏な日常を愛する。しかし、その安全志向は、大きな成長の機会を逃すことにも繋がる。リスクを取らないため、大きなリターンも得られない。人生のどこかの時点で、「自分はこのままでいいのだろうか」という焦燥感に駆られる可能性がある。傷つかない代わりに、勝利の喜びも知らない、それが安全航海士のジレンマだ。

3. 【達観したクールな傍観者】
「そもそも競争なんて不毛だよね」。このタイプは、そう達観した態度で勝負の世界を斜めから眺めている。彼らはコスパやタイパを重視し、勝利のために多大なエネルギーを注ぐことを「非効率」と判断する。SNSで他人の成功を「いいね」と祝福はするが、自らがその舞台に立とうとはしない。一見、知的で冷静なように見えるが、その内面には「どうせ頑張っても無駄だ」という諦めや、挑戦して失敗することへの潜在的な恐怖が隠れている場合も少なくない。熱くなることを避け、クールな傍観者でいることで、自尊心を守っているのだ。

4. 【自分だけの頂を目指す冒険家】
このタイプは、他人との比較で「勝ち負け」を判断しない。彼らにとっての競争相手は、常に「昨日の自分」だ。自分が設定した目標をクリアできたか、新しいスキルを身につけられたか、人間的に成長できたか。そうした内的な基準で自らの「勝利」を定義する。そのため、他人の成功に嫉妬したり、自分の敗北に過度に落ち込んだりすることが少ない。自分のペースで、着実に自分の道を切り拓いていく。しかし、社会的な評価や競争から完全に自由なわけではないため、時として「自分は本当にこのままでいいのか」と、外的な物差しとのズレに悩むこともあるだろう。

あなたはどのタイプに最も近いだろうか。どのタイプが良い、悪いという話ではない。ただ、自分が無意識のうちに取っている勝ちへのスタンスを自覚することが、これからの人生で「勝ち癖」を身につけていくための、重要な第一歩となるはずだ。

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では、具体的に「勝ち癖」を身につけるとはどういうことか。それは、単にがむしゃらに勝利を目指すことではない。時代遅れの根性論でもない。現代における「勝ち癖」とは、自らの心を巧みに操り、挑戦と成長のポジティブなサイクルを生み出すための、洗練された技術体系である。ここでは、心理学的な知見や人間の本能に基づいた、明日から実践できる10の具体的な技術を紹介したい。

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なぜ男は勝ち癖をつけることが大切なのか?