フォロワー600人達成して気づいた。古いやり方じゃもう無理、これからの発信の新常識
いつからだろう。インターネットで何かを調べるとき、企業の公式サイトやまとめサイトではなく、名も知らない誰かの個人ブログを読むようになったのは。テレビでタレントが勧める化粧品より、好きなYouTuberが「これマジで良かった」と熱弁する一本を、気づけばカートに入れている。昔は、情報の「正しさ」や「網羅性」がすべてだった。辞書のように、完璧で、客観的な事実がそこにあれば満足できた。
でも今は違う。私たちは情報そのものより、その情報を語る「人」の体温を求めている。その人がどんな失敗をして、どんな気持ちでそれにたどり着き、それをどう使っているのか。その物語ごと、情報を受け取りたい。数字やファクトだけが並んだ無機質なテキストは、もう私たちの心を動かさない。昔の常識は、静かに、しかし確実に過去のものとなった。なぜ、私たちはこれほどまでに「人」の気配を求めるようになったのだろう。この変化は、一体何を意味しているのだろうか。
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「毎日、こんなに頑張ってるのに、全然読んでもらえないんです」。先日、古い友人からそんな相談を受けた。彼はWebマーケターとして独立したばかりで、自分の知見をnoteに書き溜めていた。見せてもらった彼の記事は、どれも実直で、内容も濃かった。市場分析、最新ツールの使い方、SNSのアルゴリズム解説。どれも「有益な情報」であることは間違いない。でも、なぜか心が動かなかった。まるで教科書を読んでいるような気分になる。
彼の文章には、彼自身がいなかった。「こうすべきだ」「これが正解だ」という断定的な言葉は並んでいるけれど、彼がなぜそう思うのか、その過程でどんな失敗をしたのか、そういった血の通った部分がすっぽり抜け落ちていた。僕は正直に伝えた。「もっと、君自身の話を書いたらどうかな。このツールで大失敗した話とか、クライアントに怒られて凹んだ話とか」。彼は戸惑っていた。「そんな個人的な話、誰も興味ないですよ」。
僕は、彼に元の記事を送った。noteのフォロワーが600人を超え、一週間で100人増えたという、この短い報告文を。この記事のどこに「有益な情報」があるだろうか。どこにもない。あるのは「ありがとうございます」「ありがたいですね」「うれしいな」という、剥き出しの感情だけだ。でも、ここに人は集まる。なぜなら、私たちは完璧な情報提供者ではなく、共に喜び、悩み、挑戦していく「仲間」を探しているからだ。友人はしばらく黙って画面を見ていたが、やがてぽつりと言った。「そっか、俺、ずっとロボットみたいに書いてたんだな」。
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コピーライターの糸井重里さんは、かつてこう語った。「『伝わる』というのは、自分が変化することだ」(『インターネット的』)。この言葉は、情報発信の本質を鋭く突いている。私たちはつい、情報をパッケージして相手に「届ける」ことばかり考えてしまう。どうすれば分かりやすく要約できるか。どうすればキャッチーな見出しをつけられるか。でも、糸井さんの言葉は、それ以前の問題を指摘している。まず、その情報によって、発信する自分自身がどう変わったのか。そこから語り始めなければ、何も伝わらない、と。
この言葉の裏には、ある重要な前提がある。それは、「人は、完成された知識よりも、人が変化していくプロセスに心を動かされる」という事実だ。例えば、ダイエットの成功法をまとめた記事があったとする。Aの記事は「これを食べれば痩せる!究極の食事法10選」とだけ書かれている。Bの記事は「デブだった私が、ある食事法に出会い、何度も挫折しながら半年で10キロ痩せた全記録」と書かれている。私たちが読みたくなるのは、間違いなくBだ。なぜなら、そこには失敗と再生の「物語」があり、筆者の「変化」が刻まれているからだ。発信とは、自分の知識を切り売りする作業ではない。自分自身の変化の記録を、他者と共有する営みなのだ。私たちが誰かの発信に惹かれるのは、その人の知識にではなく、その人の人生の断片に触れたいからに他ならない。
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昔の情報発信をたとえるなら、「巨大なスーパーマーケット」のようなものだった。そこにはあらゆる商品(情報)が整然と並べられている。野菜、肉、魚、加工食品。私たちは必要なものをカートに入れ、レジで会計を済ませる。店員と個人的な会話を交わすことはほとんどない。目的はあくまで「商品を効率よく手に入れること」。どのスーパーで買うかは、品揃えと価格で決まる。そこには、属人性はほとんど介在しない。
一方で、これからの発信は、「常連客で賑わう、カウンターだけの小さな居酒屋」に近い。私たちがその店に通うのは、もちろん料理や酒が美味しいからという理由もある。しかし、それ以上に「マスターに会いたいから」という動機が大きい。マスターが仕込みで失敗した話、最近読んだ本の話、常連客のAさんとBさんがカウンター越しに始めたどうでもいい議論。そのすべてが、その店の価値になっている。メニューに載っている情報(料理)だけでなく、その場の空気、人間関係、偶発的な出来事(物語)を、私たちはお金を出して体験しに行く。たとえ隣の店がもっと安くて品揃えが良くても、私たちは愛着のあるこの店の暖簾をくぐるのだ。情報が溢れ、AIがどんな「正しい情報」でも一瞬で生成できるようになった今、私たちはスーパーマーケットのような効率性よりも、居酒屋のマスターが持つ、代替不可能な人間性に価値を見出している。
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これからの発信は、もはや単なる情報伝達ではない。それは、人間関係をゼロから築き上げていくプロセスそのものだ。スーパーの店員ではなく、居酒屋のマスターになるために、私たちは何をすべきか。そのための具体的な技術を、これから語っていこうと思う。