フォロバ待ちで消耗してる人、見て。あの退屈な時間が、実は相手を惹きつけるチャンスだった話。

フォロバ待ちで消耗してる人、見て。あの退屈な時間が、実は相手を惹きつけるチャンスだった話。

スマホの画面を、人差し指で何度もなぞる。
更新。更新。更新。
通知は、ない。

タイムラインには、フォローしたばかりのあの人の投稿が流れてくる。
面白い。やっぱりこの人、好きだな。
でも、私のプロフィールページへの通知は、沈黙したままだ。

「フォローされました」の文字は、まだ現れない。

SNSをやっている人なら、一度は経験したことがあるんじゃないだろうか。
この、じりじりと心が焼かれるような時間。
フォロバを待つ、あの独特の焦燥感。

相手の「フォロー中」の数字が一つ増えるたびに、胸がちくりと痛む。
「あ、他の人はフォロバしたんだ」
「私のは、まだ見てくれてないのかな」
「それとも、興味ないってこと…?」

考えれば考えるほど、泥沼にハマっていく。
自分の投稿が急につまらないものに思えてくる。
アイコンの写真、これでよかったんだっけ。
自己紹介文、もっと気の利いたこと書くべきだったか。

自信が、どんどん削られていく。
スマホを開くのが、少しだけ怖くなる。

そんな時、ふと見かけた投稿があった。
「ブルバだけどまだフォロバされてないよ!って人いたらいいね!下さい!」
添えられたハッシュタグは「#ブルバ100」。
一気に100人、フォローしたんだろう。

その気持ち、痛いほどわかる。
わかるよ。
数でアプローチした時の、あの無力感。
渾身のラブコールが、誰にも届いていないような孤独。
消耗するよな。本当に。

私も、何度も同じ気持ちを味わってきた。
だから、この投稿には強く共感する。
「わかる!」と心の中で叫んで、そっと「いいね」を押した。

この待ち時間。
この一方通行の片想いみたいな時間。
無駄で、退屈で、ただただ精神をすり減らすだけの時間。
みんな、そう思っている。私も、ずっと思っていた。

だが、実は。
この誰もが「無駄だ」と切り捨ててしまう時間こそが、宝の山だったとしたら?
フォロバされない、あの退屈な空白期間が、相手を本気で惹きつけるための、最高のチャンスだったとしたら?

そんな馬鹿な、と思うかもしれない。
でも、少しだけ、私の話に付き合ってほしい。
あのソワソワした時間が、最強の武器に変わるかもしれないから。

+++++

もう何年も前の話だ。
私は、あるイラストレーターに夢中だった。
その人が描く、少し寂しげで、でも凛とした表情の女の子が大好きだった。
色使いも、線のタッチも、何もかもが私の心を掴んで離さなかった。

ある日、勇気を出してTwitterのアカウントをフォローした。
心臓が、ドクンと大きく鳴ったのを覚えている。
これで、あの人の言葉を、リアルタイムで受け取れる。

もちろん、フォロバなんて期待していなかった。
相手は、フォロワーが何万人もいる、雲の上の存在。
私は、ただのしがないファンの一人だ。

でも、心のどこかで、ほんの少しだけ期待していた自分もいた。
万が一、奇跡が起きたら。
そう思うと、やっぱりスマホを何度も確認してしまった。

通知は、来ない。
当たり前だ。わかってる。
わかっているのに、がっかりする。

その人のタイムラインは、才能で溢れていた。
毎日、素晴らしいイラストが投稿される。
制作の裏話や、好きな映画の話もしてくれる。
知れば知るほど、もっと好きになった。

私は、ただただ投稿を眺めるだけだった。
「いいね」を押す指が、震えた。
こんな私が「いいね」なんて押して、いいんだろうか。
その他大勢に埋もれて、きっと気づかれもしないのに。

リプライなんて、もってのほかだ。
何て送ればいい?
「素敵です!」「大好きです!」
そんなありきたりな言葉、毎日何百と届いているだろう。
迷惑じゃないだろうか。うざいと思われないだろうか。

考えすぎて、結局何もできなかった。
ただ、その人の投稿を貪るように読む日々。
フォロワーが一人増えるたびに、私の存在はどんどん小さくなっていくように感じた。

一ヶ月が経った。
相変わらず、フォロバはされない。
私の片想いは、ずっと一方通行のままだった。

もう、いいかな。
なんだか、疲れてしまった。
期待するのが、しんどくなった。
自分の存在を認めてもらおうとすることが、おこがましく思えた。

その日、諦めの気持ちでタイムラインを眺めていた。
すると、その人がぽつりと呟いた。
「最近、スランプ気味。昔みたいに、楽しんで描けてない気がする」

いつもは輝いて見えるその人の、弱音だった。
胸が、ずきんとした。
完璧に見えるこの人も、悩んだり、苦しんだりするんだ。
私と同じ、一人の人間なんだ。

その時、気づいたら指が動いていた。
リプライの入力画面を開いていた。
何て書こう。
頑張って、なんて言えない。
そんな無責任な言葉、かけられない。

私は、数分間悩んだ末に、こう送った。
「〇〇(作品名)で、主人公が雨上がりの空を見上げる一枚絵がありますよね。あの絵の、アスファルトの濡れた匂いがしてきそうな描写が、私は本当に大好きです。あの絵を見ると、少しだけ前を向ける気がします」

送った瞬間、血の気が引いた。
やばい。
キモい。
長文だし、なんか語ってるし、絶対引かれる。

すぐに消そうかと思った。
でも、もう遅いかもしれない。
通知がいってしまったかもしれない。
私は、スマホをベッドに放り投げた。もう見たくない。

数時間後、恐る恐るスマホを手に取った。
通知が、一件。
まさか。

開くと、その人からの「いいね」と、リプライだった。
「ありがとうございます。そう言ってもらえると、すごく嬉しいです。あの絵は自分でも気に入ってる一枚なので。もう少し、頑張ってみます」

心臓が、止まるかと思った。
手が、震えた。
何度も、何度も、そのリプライを読み返した。
私の言葉が、あの人に届いた。
雲の上の存在だと思っていた人と、会話ができた。

それから、何かが変わった。
私は、たまに、その人の投稿にリプライを送るようになった。
でも、毎回じゃない。
本当に心が動いた時だけ。

感想を送る時も、ただ「すごい」じゃなくて、「ここの光の表現が、登場人物の心情を表しているようでグッときました」みたいに、具体的に伝えるようにした。
それは、媚びを売るためじゃなかった。
私が、その人の作品をどれだけ好きか、本気で伝えたかったからだ。

私がやっていたのは、ずっと「受信」だったんだと思う。
一ヶ月間、ただひたすらその人の作品や言葉を受け取り続けていた。
だから、どの作品にどんな想いが込められているか、少しだけわかった。
どんな言葉をかけられたら、嬉しいかもしれないと、想像できた。
あの「スランプ気味」という呟きに、的確なリプライを送れたのは、偶然じゃなかった。

さらに二週間後。
ついに、その日はやってきた。
スマホの画面に、信じられない文字が表示された。

「〇〇さんにフォローされました」

思わず、声が出た。
何度も見間違えじゃないか確認した。
夢じゃなかった。

後日、その人がスペースで話しているのを偶然聞いた。
「最近、すごく熱心なファンの方がいて。僕の過去の作品までよく見てくれてて、いつも的確な感想をくれる。そういう人がいると思うと、本当に励みになるんですよね」
私のことかどうかは、わからない。
でも、もしかしたら、と思ってしまった。

あの、フォロバされなかった一ヶ月半。
ただ待っているだけの、苦しい時間だと思っていた。
でも、違った。
あれは、相手を深く、深く知るための時間だった。
相手の世界に、じっくりと浸るための時間だった。
そして、どうすれば自分の想いが届くのか、作戦を練るための、大切な準備期間だったんだ。

ただ闇雲に「フォロバして!」と叫ぶより、
ずっと静かで、でも、ずっと確実なアプローチだったのかもしれない。
あの消耗するだけの時間が、私に教えてくれたことだった。

+++++

そもそも、この「フォロバ」という文化は、いつからこんなに私たちの心を縛るようになったんだろう。
SNSが生まれた当初は、もっとシンプルだったはずだ。
面白い情報、好きなクリエイター、気になるニュース。
自分が「見たい」ものを一方的に受信するための、便利なツール。
そこには、必ずしも相互の関係性は求められていなかった。

実は今のフォロバ文化って、かつてのmixiのような、閉鎖的なコミュニティの名残なんです。
「マイミク」という言葉があったように、そこでは承認し合うことが前提だった。
足跡機能で、誰が自分のページを見たかわかる。
コミュニティへの参加も、承認制が多かった。
そうした「お互いを知っている」という安心感が、ネット上の人間関係のベースにあった。

その感覚が、オープンなTwitterの世界にも持ち込まれた。
そして、「相互フォロー」という言葉が生まれ、いつしかそれがマナーや礼儀のように語られるようになった。
フォロバ率が、その人のコミュニケーション能力や人気を測る指標の一つになってしまった。
私たちは、無意識のうちに、オープンな広場で、かつての村社会と同じような「相互承認」を求めてしまっているのかもしれない。

+++++

「でも、それって結局、相手に気に入られようとしてるだけでしょ?」
「自分を偽って、相手好みの人間を演じるなんて、疲れるだけじゃない?」

そんな声が聞こえてきそうだ。
確かに、そう思いたくなる気持ちもわかる。
自分のスタイルを曲げてまで、相手に合わせる必要はない。
それは、本当のコミュニケーションじゃない。

でも、本当にそうだろうか。
私がやろうと言っているのは、「自分を偽る」ことじゃない。
「相手を深く理解する」ことだ。

それは、レストランのシェフが、お客さんの好みやアレルギーを事前にリサーチするのに似ている。
自分の料理の腕を偽るわけじゃない。
自分の最高の料理を、相手が一番喜んでくれる形で提供したい。
そのための、敬意あるリサーチだ。

「そんなの、面倒くさい。もっと効率的にフォロワーを増やしたい」

わかる。
数字だけを追いかけるなら、その方が早い。
フォローしまくって、フォロバがない人はリムーブする。
そのやり方を、否定はしない。

でも、本当に欲しいのは、ただの数字だろうか。
あなたが本当に繋がりたいと願った、あのたった一人の人。
その人との、薄っぺらくない、本物の関係。
それって、効率だけじゃ手に入らないんじゃないだろうか。

「待つのが辛い。その間に心が折れちゃう」

うん。辛いよね。
私も、何度も折れかけた。
だからこそ、ただ待つんじゃない。
「待ち」の時間を、「攻めのリサーチ」の時間に変えるんだ。

受け身で通知を待つだけの時間は、確かにつらい。
でも、能動的に相手を研究し、攻略法を考える時間は、案外楽しいものだ。
それはもう「待ち」じゃない。
静かな「狩り」の時間なんだ。

そう考えると、少しだけ、ワクワクしてこないだろうか。

+++++

フォロバ待ちで消耗する、あの苦しい時間。
どうすれば、それを「チャンス」に変えられるのか。
私が経験から学んだことは、とてもシンプルだ。
「待つ」という行為の、質そのものを変えてしまうこと。
私は、この時間が、自分自身を成長させてくれる最高のトレーニングになると信じている。

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